タカラ「焼酎ハイボール」20年の軌跡 — 時代が変わっても変わらないこだわり

2026/03/27

タカラ「焼酎ハイボール」20年の軌跡

  •  小売店の陳列棚で異彩を放つ金色の缶。
     大衆酒場で愛されている焼酎ハイボールの味わいを実現したタカラ「焼酎ハイボール」が、2026年3月に発売20周年を迎えた。今では多くのファンに支持され、宝酒造の主力商品へと成長した本商品。しかし、現在の人気を獲得するまでには数々の試行錯誤があった。
     今回、タカラ「焼酎ハイボール」20年の軌跡を紐解くべく、発売当時に営業としてタカラ「焼酎ハイボール」を販売していた2名と、現在の商品企画・技術開発担当2名に話を訊いた。

タカラ「焼酎ハイボール」誕生のきっかけ

  •  「チューハイ」は、“焼酎ハイボール”を略した言葉である。1977年に宝焼酎「純」の発売をきっかけにチューハイブームが起こり、1984年に日本初の缶入りチューハイである「タカラcanチューハイ」が発売され、「チューハイ」という言葉は世の中に浸透していた。
     一方で、その語源である“焼酎ハイボール”とはなにか、どこでどのように生まれてきたのか。2000年代に入り、そのルーツを求めて、東京の下町を探索する日々が始まった。

     焼酎ハイボールは、昭和20年代後半(1950年頃)、東京下町の大衆酒場で庶民の酒として生まれた。甲類焼酎をベースに、炭酸を用い、各店がそれぞれのエキスでほろ苦さや香り、イエローゴールドの色味に仕上げたお酒である。そんな焼酎ハイボールのルーツを紐解くべく、東京下町の大衆酒場を1軒1軒巡り歩き、それぞれの味わいやレシピ、料理との相性、そして店主らが語る店と焼酎ハイボールの歴史を記録していった。焼酎ハイボールの輪郭がだんだんとあらわになる頃には、その記録した資料には400を超える大衆酒場の名が連ねられていた。

     そこでわかってきたことは、酒場の料理と抜群に合うキレ味の良い辛口、焼酎ハイボールを片手に味わう酒場の情緒、そして何より、大衆酒場に通う多くの客が、焼酎ハイボールを飲んでいることであった。


    大衆酒場400軒を記録した資料

大衆酒場の情緒を一缶に込めて

  •  2005年、缶チューハイ市場は甘いチューハイが主流であった。そのような中、これまでに集めた焼酎ハイボールに関する情報と宝酒造のチューハイづくりの技術を生かし、人々が愛し続ける酒場の価値を表すような商品を作れば、必ず受け入れられるという思いから、宝酒造による焼酎ハイボールの開発が始まった。

     肝となるのは、フィールドワークで調べた大衆酒場で飲まれる焼酎ハイボールに使われる「エキス」。開発者たちは、このエキスのブレンドの妙を探るため、大衆酒場に何度も足を運んだ。エキスを入れることにより、ほのかな苦味や甘みが立ちのぼる、飲み飽きない味わい。その、絶妙な配合を実現するため、時には原材料メーカーにも相談しながら、試行錯誤を続けた。またもう一つ重要なのは、煮込みやもつ焼きと一緒に楽しまれていた食事に合う焼酎ハイボールの味わいを再現すること。そのためにさまざまな惣菜を買い込んで、食事との相性をみながら開発は進んだ。原材料の配合を絶妙に変えながら、味のバランス調整をし、「これだ!」という味わいができた時には、多くの試作品であふれていた。

     こうして生まれたのが、大衆酒場の世界観にこだわりぬいた瓶詰の「タカラチューハイ」(※現在は終売)である。大衆酒場で提供される瓶ビールのイメージから、王冠のキャップと茶色い瓶を採用し、家庭でもあまり使われなくなっていた栓抜きを販促品としてつけ、大衆酒場のイメージを思わせる商品として発売された。


    「タカラチューハイ」

     その後、より手軽に楽しんでもらえるよう、缶入りでのチューハイの開発に着手。当初はいろいろなネーミングがあったが、下町で飲まれている“焼酎ハイボール”という言葉にこだわり、商品名に使用した。さらに、焼酎ハイボールの黄金色の液を想起させるよう、蓋も含め金色にし、強い炭酸をイメージする凸凹した異形缶を採用し、2006年3月、ついにタカラ「焼酎ハイボール」は誕生したのだった。


    発売当初のタカラ「焼酎ハイボール」
    現在とほとんどデザインは変わっていない

タカラ「焼酎ハイボール」の軌跡(販売編)

―厳しい評価からはじまった船出―

  •  満を持して誕生したタカラ「焼酎ハイボール」だったが、発売当初の市場の反応はあまりよくはなかった。当時は、甘いチューハイが全盛の時代、辛口のタカラ「焼酎ハイボール」の試飲イベントでは、想像とは違う味に困惑するお客さんもいたとか。
     ここからは、実際に関西で小売店を担当していた尾崎 正典氏と、全国チェーンを担当していた遠藤 敦氏に、当時の販売の苦労などを訊いた。


    尾崎 正典氏                      遠藤 敦氏

    ――担当していた小売店の新発売時の反応はいかがでしたか?

     「2006年当時の缶チューハイ市場は、果実味や甘みを感じるものが主流で、甘くない『タカラ「焼酎ハイボール」』は味が薄いと敬遠されがちでした。営業活動を行いますが難しく、導入も苦労しました。」(尾崎)

     「発売時の導入はとても難しかったですね。当時の私の担当は、売場があまり大きくなく、“甘くない缶チューハイ”の売場は限られており、そこにはすでに元祖缶チューハイで、固定客も多い『タカラcanチューハイ』が並んでいました。新発売時には『タカラ「焼酎ハイボール」』をその近くに並べてもらいましたが、販売に苦戦し、どちらかしか商品を売場に残せないと言われ、泣く泣く『タカラ「焼酎ハイボール」』の販売継続は断念しました。以降も営業を重ね、”タカラ「焼酎ハイボール」”の売場への導入に挑戦し続けましたが、売場にはなかなか定着しませんでした」(遠藤)

    ――そのような反応の中、どういう思いで営業をつづけていきましたか?

     「当時は売上も低調の中、『タカラ「焼酎ハイボール」』を売り続けられたのは、必ず売れるという強い思いが会社全体にあったからだと思います。営業担当は少しでも売れるようにと皆、関西の立ち飲み屋や角打ちなど、きめ細やかに営業を実施し、“大衆酒場で愛されるお酒”という物語や世界観と共に、営業をしていきました」(尾崎)

     「私も信念を持ち、粘り強く、酒担当バイヤーをはじめとした関係者を大衆酒場に連れていきながら、焼酎ハイボールをこれだけ楽しんでいる人がいると強く説明し続けました」(遠藤)

    ―市民権を獲得し始めたタカラ「焼酎ハイボール」そして辛口を求める時代へ―

     当初は売上の伸び悩みに苦しんだタカラ「焼酎ハイボール」。しかし次第に売れる兆しが見えてきていた。

    ――厳しい船出の中、現場ではどのような手応え、変化を感じてきましたか。

     「厳しい中でも、味わいを評価いただき、取り扱いを続けていただく中で、徐々に売上が拡大していることを実感していきました。私の担当していた小売店では、『タカラ「焼酎ハイボール」<レモン>』が、取り扱っているチューハイの中で売上一位を記録するまでに至りました。バイヤーにも受け入れられ、それまで入荷していなかった500ml缶の導入で日本一の売上を目指そうと、意欲を見せてくれました。その結果500ml導入後、1年で倍以上に売上が拡大しました。さらには、バイヤーから『関西はゆず文化が強いから、ゆずのフレーバーがあれば絶対売れる』という意見もいただき、本社に提言し、<ゆず>フレーバーも発売されました。」(尾崎)


    2009年に限定で発売された<ゆず>
    現在は年間で販売されている人気フレーバーの一つ

     「私の場合は、ある担当企業1社で、爆発的に売れている事例がありました。調べてみると、建設業などのエッセンシャルワーカーが、仕事帰りに『タカラ「焼酎ハイボール」』を購入していました。朝に大盛りのお弁当を買っていき、帰りにまた同じお店に寄り、お酒を購入する。そのお酒が『タカラ「焼酎ハイボール」』だったのです。その企業は広範囲のエリアにあり、『タカラ「焼酎ハイボール」』を当時1番売っていました。
     やはりこの点の事例で、このお酒は売れると確信し、私は別の担当企業に、棚割り(売場における商品配置を決めること)の変更などの施策を打ち出しました。当時はウイスキーハイボールが流行し、世間的にも甘くない酒の需要は確かに広まっていた頃でした。そこで、甘い商品の隣に配置されていたのを、甘くないウイスキーハイボールの隣に変更してもらうようお願いしたところ、お客様も手に取ってくれるようになり、『タカラ「焼酎ハイボール」』の売上は好調に推移するようになりました」(遠藤)

    ――苦労を経て、タカラ「焼酎ハイボール」は、宝酒造を代表する商品となりました。率直にどういう思いをお持ちでしょうか?

     「とても感慨深いですね。先ほどの<ゆず>フレーバーもそうですが、『タカラ「焼酎ハイボール」』が、東京の下町の大衆酒場から、日本全国に広がったと思うと、あきらめずに販売し続けてよかったと実感しています」(尾崎)

     「『タカラ「焼酎ハイボール」』の爽快な飲み心地と深い味わいは、大衆酒場のアテ(肴)に本当にぴったりと合うように作られていますからね。このお酒が大衆酒場を愛する人々に支えられて、ジワジワと大きなブランドになったのも不思議ではありません。ちょっと大袈裟かもしれませんが、20年の時間をかけて、『タカラ「焼酎ハイボール」』は世の”酒好きの舌”を育ててきたのかもしれないな、と感じています」(遠藤)

タカラ「焼酎ハイボール」の軌跡(商品担当編)

―大衆酒場の文化を守り発展させていくために変わるもの・変わらないもの―

  •  販売から20周年を迎えたタカラ「焼酎ハイボール」。その歴史の中で数々の定番フレーバー・限定フレーバーが生まれてきた。大衆酒場で愛され続ける味わいを守り続ける”変わらないもの、変えてはならない想い”と“さらなるブランドの進化を目指す挑戦”があった。
     ここからは、タカラ「焼酎ハイボール」の技術を担当する今西 悠香氏と商品・販促企画を担当する永平 拓也氏から話を訊いた。


       今西 悠香氏(技術担当)              永平 拓也氏(商品・販促企画担当)

    ――タカラ「焼酎ハイボール」の魅力やお客様に受け入れられている理由を、技術担当としての視点から教えてください。

     「<ドライ>や<レモン>といった定番商品の味の本質は、発売から20年間変わっていません。決め手は、下町の焼酎ハイボールで使われるエキスの再現と、100年以上の歴史を持つ『宝焼酎』です。これまでいろいろなフレーバーを開発してきましたが、『タカラ「焼酎ハイボール」』は、宝焼酎本来の美味しさを引き出すことが絶対条件となっています。当社の強みである蒸留技術やブレンド技術によるピュアな味わいにより、辛口の味わいの中にも深みや飲みごたえが楽しめます」(今西)


    100年以上の歴史を持つ宝焼酎が、タカラ「焼酎ハイボール」の味わいの根幹

    ――100年以上にわたり作り続けてきた「宝焼酎」が使用されていること。それがこの商品の最大の味わいの特長ということですね。ほかにはありますか?

     「辛口というのが大切な思想だと思います。どんなフレーバーでも“甘くない”というのが最重要の約束となっています。たとえば、2025年12月に『タカラ「焼酎ハイボール」<強烈コーラ割り>』を数量限定発売しました。コーラ味と聞くと甘いものをイメージする方が多い中で、いかに甘くない味わいでコーラ味を表現するか。そこは技術者としての腕の見せ所になると思っています。実は新フレーバーは、既存の愛飲者の満足度維持という側面も大きいんです。飽きずに飲み続けていただくために、普段は飲まない新規のフレーバーも試してもらい、辛口にこだわる『タカラ「焼酎ハイボール」』のおいしさを再確認してほしいです。
     もちろん、若年層にもより手に取ってもらえるブランドになる意味でも、今までにない新フレーバーの開発も続けています。幅広い人にファンになってもらい、親子で『タカラ「焼酎ハイボール」』を一緒に飲む、といったコミュニケーションが生まれることが理想ですね」(今西)

    ――フレーバー展開とは別に、アルコール5%タイプである“キレの5%”も発売しています。

     「はい。健康意識の高まり等を背景に、低アルコール化が進行する中、『タカラ「焼酎ハイボール」』でも、消費者ニーズの高いアルコール度数5%で販売しています。
     この商品の課題は、アルコール度数を下げても、『タカラ「焼酎ハイボール」』を感じられる味わいにすることでした。<レモン>や<グレープフルーツ>、<サイダー割り>などは原材料のバランスにより、飲みごたえのある味わいを実現していましたが、それだけでは7%の人気フレーバーである<ドライ>の味わいをどうしても実現できませんでした。5%でもその味わいを実現するため、2024年から低アルコールでも飲みごたえを付与できる素材の開発に着手しました。その素材の開発により、5%でも飲みごたえやキレのある味わいを実現でき、2025年9月に“キレの5%”<ドライ>を発売することできました。この商品で、さらに多くの人が『タカラ「焼酎ハイボール」』の美味しさを知ってくれたらうれしいですね」(今西)


    タカラ「焼酎ハイボール」キレの5%

    ――日々新しい味づくりに挑戦する中で、開発者として最も苦労した経験や、思い入れのある商品はありますか?

     「私自身が『タカラ「焼酎ハイボール」』の大ファンで、日々新しいフレーバーの開発を求めて、社内外からさまざまな情報を集めて新フレーバーを考えています。
     私が担当した、<大衆酒場の和風モヒート>(25年7月期間限定発売)ですが、本来モヒートは砂糖が入る甘めのカクテルですが、『タカラ「焼酎ハイボール」』のアイデンティティを守るため、甘さに頼らない設計を貫きました。何度も官能試験を重ね、150種類ほどのバージョンを作り、ミント感が強すぎず食事に合う味わいのものを採用しました。長い時間かかりましたが、この商品が世に出たときはとてもうれしかったですね。
     このような開発での試行錯誤に加え、企画担当のアイデア、そして営業の皆さんの努力がこれからも身を結び、より広く、深く、そして長く『タカラ「焼酎ハイボール」』が愛され続けてほしいですね」(今西)

    ――ここからは、商品コンセプトの視点から、タカラ「焼酎ハイボール」の魅力やお客様に受け入れられている理由をお伺いします。

     「『タカラ「焼酎ハイボール」』で使用しているキャッチコピーには“大衆酒場で愛される、あのうまさ!”・“たどり着いたら、この辛口!”というのがあります。味わいはもちろんですが、パッケージ裏のイラストやレトロなデザインを含め、賑やかでどこか落ち着く大衆酒場の喧騒を想起させるコンセプトこそが、20年経っても変わらない大事な部分です」(永平)



    タカラ「焼酎ハイボール」のパッケージに描かれている、
    大衆酒場のイラストと説明

    ――変わらないコンセプトの中で、これからの育成の考え方を教えてください。

     「これまでの『タカラ「焼酎ハイボール」』は、既存ユーザーにフォーカスしてきたことで、長年の愛飲者も増え、ブランドが伸長してきました。こうしたロイヤリティの高い愛飲者の想いに応えていくことも大切ですが、この商品を30年、40年と販売し続けていくためには、これまでこの商品を知らなかった方にも魅力を伝えていく必要があると感じています。そのためにも新たなフレーバー展開は必要ですし、様々な方法で情報発信を強化していきたいと思っています。
     強炭酸が好まれる時流に合わせた”タカラ「焼酎ハイボール」”史上、最強の炭酸が楽しめる<強烈>シリーズや、度数を少し抑えた<キレの5%>シリーズなど、愛飲者に加えてまだこの商品を知らない方に向けたタッチポイントを増やす取り組みをこれからも行っていきたいと思います」(永平)

タカラ「焼酎ハイボール」が灯しつづけた、大衆酒場の世界観をこれからも

  •  20年間変わらずタカラ「焼酎ハイボール」が提案してきたもの。それは、時代を経ても変わらない大衆酒場の世界観。そこには、単にお酒を楽しむ以上の価値がある。喧騒の中で仲間と、あるいは偶然出会った客同士が、お酒を通じて同じ時間を共有するひととき。金蓋のプルトップを開ければ、自宅の一室が、友人と囲むパーティーのテーブルが、大衆酒場に早変わりする。
     これからも和やかに、賑やかに楽しむ空間を演出するため、タカラ「焼酎ハイボール」はお酒を楽しむ人に寄り添い続けていく。