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  • 序 章 1842~1925
  • 第1章 1925~1945
  • 第2章 1945~1966
  • 第3章 1966~1993
  • 第4章 1993~2017
  • 宝グループのあゆみ

    第1章 寳酒造創立1925~1945(大正14〜昭和20)

    寳酒造創立と焼酎・みりんの全国展開

    1.合名会社から株式会社へ

    1925年イメージ 1925
    寳酒造誕生、初代社長に四方卯三郎が就任

    大正デモクラシーが最盛期を迎えた1925(大正14)年、設立20周年を迎えた四方合名会社は念願の株式会社への改組を果たし、「寳酒造株式会社」が誕生。市場で知られた商標を社名に冠し、代表取締役社長には四方卯三郎が就きました。(写真は創立当時の株券)

    2.焼酎・みりんの全国展開と清酒事業の再興

    1925年イメージ 1925
    「寶交會」「千石會」の発足

    改組後初の酒造年度を迎えた1925(大正14)年、東京、横浜の特約店との親睦会「寶交會(ほうこうかい)」が発足。1927(昭和2)年には特約店に匹敵する販売力を持ち、寶製品千石以上を取り扱う販売店を対象にした「千石會」も組織され、販売網はますます拡大していきました。これらの組織は、販売活動の中核となっただけでなく、得意先との長期的な信頼関係の構築につながりました。(写真は千石會記念撮影)

    1926年イメージ 1926
    合併・買収で全国に足場を築く

    1926(大正15)年、大手メーカー・帝国酒造(株)の要請を受けて合併に踏み切りました。1929(昭和4)年には、東京の大正製酒(株)と広島の(株)鞆保命酒屋(ともほめいしゅや)を合併。さらに1934(昭和9)年、ワインメーカーの大黒葡萄酒(株)と、日本酒造(株)を相次いで買収し、経営にあたりました。こうした一連の合併・買収に伴って、生産体制も全国規模に拡充され、5工場体制になりました。(写真は昭和初期のポスター)

    1933年イメージ 1933
    松竹梅酒造設立

    1933(昭和8)年、経営困難に陥った灘の酒造家・井上信次郎を支援するため、松竹梅酒造(株)を設立。清酒「松竹梅」は、1本(2L)5円という他の清酒の5倍近い高値で売り出したことが逆に話題を呼び、「まぼろしの銘酒」と称されました。また、全国主要都市に酒場「松竹梅の酒蔵」を開設するなど人気を集めました。(写真は松竹梅2L壜詰)

    3.業界安定化の取り組み

    1924年イメージ 1924
    六社申合会の設立

    日本有数の焼酎メーカーへと飛躍的な成長を遂げた寳酒造は、関東大震災や金融恐慌で時局が混乱するなか、業界の安定化にも率先して取り組みました。まず改組に先立つ1924(大正13)年、焼酎メーカー大手6社に呼びかけて「六社申合(もうしあわせ)会」を結成。需給バランスや価格の維持について協議し、各社で申し合わせ*を行い、業界安定に大いに寄与しました。

    *申し合わせ

    需給バランスや価格維持についての申し合わせ(カルテル)は1947(昭和22)年の独占禁止法施行により禁止された。戦前においては、需給バランスや価格維持についての申し合わせを行うことは、業界安定のために必要なものとみなされ、禁止事項ではなかった。

    1928年イメージ 1928
    全国新式味淋焼酎連盟会の設立

    1927(昭和2)年の金融恐慌の影響は大きく、日本経済は容易に上向かず、焼酎業界も混乱が続きました。事態の打開には、全国規模の業界団体を組織し、より強固な協定を結ぶしかない─。そう考えた四方卯三郎は、自ら大蔵省に赴いて支援を取り付け、全国を行脚し同業者に一致団結を呼びかけました。こうして1928(昭和3)年、任意団体として酒類業界初の全国組織となる「全国新式味淋焼酎連盟会」が成立し、生産制限、価格維持などに成果を上げました。そして、1931(昭和6)年には新たに「全国新式焼酎連盟会」が発足しました。(写真は全国新式味淋焼酎連盟会出席者)

    1936年イメージ 1936
    協和会設立、経営効率化をめざす

    1933(昭和8)年、東京でメチルアルコール事件が発生。焼酎への不安感が高まり、特に関東市場に強かった寳酒造は大きな痛手を受けました。翌年には記録的な大凶作と室戸台風による被害が重なり、物価が高騰。経営合理化や経費節減が急務となりました。こうしたことから、合同酒精(株)、大日本酒類醸造(株)との3社が連携して経営合理化を図ることで意見が一致。1936(昭和11)年、「協和会」が発足しました。(写真は発足当時の協和会会員)

    4.戦時下の苦闘

    1937
    軍需用アルコールの生産

    1937(昭和12)年、日中戦争が勃発。日本は戦時体制となり、各分野で統制経済が導入されました。同年、アルコール専売法が成立し、政府は民間企業への生産委託を開始。寳酒造も市川、王子、伏見、鞆の各工場が数度の委託を受け、燃料用アルコールを製造しました。さらに急増する需要に応えるため、翌1938(昭和13)年には寳酒造など3社で国策会社・東亜酒精興業(株)を設立。木崎工場を同社に譲渡し、燃料用アルコールの生産にあたりました。

    1940年イメージ 1940
    満州松竹梅酒造の設立

    「松竹梅」の発売で本格化しつつあった清酒事業は、統制経済導入の影響により、停滞を余儀なくされました。1939(昭和14)年には原料米の不作にも見舞われ、生産量はほぼ半減。このため、海外での清酒事業に活路を求め、1940(昭和15)年、満州松竹梅酒造(株)を設立。現地で暮らす在留邦人に清酒を販売して好評を得ました。(写真は満州国・大連市街/毎日新聞社提供)

    1940年イメージ 1940
    第2代社長に四方秀三郎が就任

    太平洋戦争勃発前年の1940(昭和15)年、創業以来社業を率いてきた四方卯三郎は「われ第一線を退くとも、社運に影響はなかるべし」として勇退し、会長に就きました。後任の第2代社長には四方秀三郎(写真)が、副社長には大宮庫吉が就任し、多難な中で経営の舵をとることになりました。

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